イギリスに滞在中のヴァージン特派員達が、イギリスの「今」の情報をお届けします!!

富岡秀次 プロフィール
85年にフリー・フォトグラファー。 90年からロンドンをベースに、ミュージック、ファッション、旅、映画、演劇、ミュージカル、バレエ他、英文化全般を対象に撮影活動をしている。


(僕にとっての夢だった『ギターを壁から掛ける』が実現しました。嬉しい!
DIY上手の義理の兄のおかげです。感謝。)
僕は、イギリスに来てから随分DIYをしてきました。
ペンキ塗りとか、何度も。。。
ところが、DIYで一番大切なドリルだけはもう使いたくありません。
これは、最初に使った時に失敗したのが、トラウマになってしまったから。
小さなフラットを買って生活し始めた頃、
見よう見まねで色々DIYを始めました。
英国人男性は、上手い下手はあっても、まず100%、DIYを経験しています。
お父さんから息子への、生活スキル&技術の継承ですね。
フットボールを一緒にやるのと同等に、大切な父と子のふれあいです。
でも、私にはこれが全くなかった。
日本では、家の工事とかは大工さんに頼むじゃないですか。
それに、私の父は不器用で、何も手先を使う事をしませんでしたね。
すっかり私も、不器用を引き継ぎました。
母の影響で、姉と兄は手先が器用でしたが。

(僕だってDIYします。ドアの取っ手を陶器製のものに換えて、適当にペイントを塗り替えます。ほら、”シャビー・シーク”の出来上がり。)
で、キレイにペンキを塗った壁に、DIYの基本中の基本、本棚を設置しようとして、
壁にドリルしたら、直径20cmの大穴を開けてしまいました。
もうボロボロです。すぐに中止すれば良いのに、
『こんなはずじゃぁ。。。。』って思いながら大きくうなるドリルの騒音に呼応して、
穴はどんどん大きくなります。
『今度こそは。。』と思って、同じ大きさの穴をもう一つ作ったところで、やめました。
もちろん、本棚は諦めました。
小さな部屋には場違いの、大きな鏡を買って、壁に吊るして穴を隠しました。

(お疲れさま!)
それ以来、ドリルを使わなくてはいけない時には、
義理の兄(妻の姉の夫です)のディヴィッドに頼む事が多くなりました。
昨年、アーリー・リタイヤメントで職を離れた彼は、
その ”ペンショナー” の身分を満喫しています。
因みに、彼はもとハンプシャー警察のCID(私服警部)で、麻薬の囮捜査とかをしていました。身長190cmの、典型的な”ボビー(警察官を親しんでこう呼びます)”の風情をしています。
警察組織の幹部は、高級年金が支給されるので、”早期退職”しても、老後の生活の心配がいらないんですね。。。。。。
夫婦で各国を旅して楽しんでいるようですが、今年のロンドン・オリンピックでボランティアをします。
そのミーティングがハックニーであるので、
昨夜ロンドンの我が家に泊まりにきました。
私は、このチャンスを、手ぐすねを引いて待っていたのですよ(笑)
もう、何ヶ月も前に夢の部品を買ったのですが、壁にこれをくっつけるのにドリルを使わなくてはいけません。
" 誰かがしてくれる" のを辛抱強く待っていたんです。
あっという間に出来ました!
十代の頃からの夢だった、”ギター・ハンガー”が、実現したんです。
『そんな、ギター屋さんみたいのはカッコ悪い』と、長年反対していた妻を
『部屋のスペースを有効に使えるようになるから』とやっと説得に成功したんです。
それが、義理の兄のおかげで、あっけなく実現。
嬉しい!!!

(僕だってドリルが使えるようになりたい。。)
実は、妻の実の兄、マーティンも『早期退職』をしています。
彼は大会社の重役でしたから、やはり老後の心配がいらないワケです。ふ〜。
僕が妻と婚約して日本から来た時、ディヴィッドもマーティンも歓迎してくれました。
妻の実家のあるポーツマスに、みんな住んでいるのですが、当時日本人はほとんどいませんでした。
軍港の街ですから、かなり荒っぽい。
東洋人は中華料理のテイク・アウエイで働いている人ぐらいしかいませんでした。
でも二人共、日本の伝統文化、先進技術を尊敬してくれていたのがありがたかった。
彼らのおかげで、英語がまだおぼつかない私も、
自然に家族のイヴェントに親しむ事が出来たのです。
クリスマス、家族対抗クリケットや、たくさんいる親戚のパーティーなど、
社交が苦手な私でも、溶込ませてもらいました。
教育を受けたイギリス人特有の『旅好き』『冒険好き』の血が、
遥か彼方の国から来た私に興味を向かわせてくれたのかも知れません。

(蛇足ですが、これは僕の友人のアイリッシュ・ブルース・ギタリスト、故ロリー・ギャラガーが所有していた、Guyatoneのグローリーです。
彼も、英国では外国人として暮らしていたので、私の境遇を理解してくれていました。ロリーと彼の弟のドネルの好意で、僕が譲り受けました。
これから英国富岡家が代々継承していきます)
まだ、英国行きの飛行機がアンカレッジ経由で飛んでいた時代です。
ほんの少し前迄、日本はまだ遠かったのです。
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ハッピー・バレンタインデー!
皆さん、素敵なヴァレンタインデー(本当なら “セント・ヴァレンタインズ・デー” でしょうか?)
をお過ごしですか?
すっかり忘れていましたが、
子供の頃には、この日が近づくとそわそわして、落ち着きませんでしたっけ。
そして、当日をわくわくドキドキ迎えましたよね。
そんな気分も、もう昔日です。
これでは、妻から『ロマンティックじゃない』と言われても仕方がないですね。

日本では、もちろん『女性から男性に』プレゼントが贈られる日。
つまり女性から愛の告白がされる日と言う認識です。
妻と交際し始めた頃、彼女からカードとプレゼントを貰い、
『ありがとう』と、とびっきりの笑顔を見せたら、
『私へのプレゼントは?』と訊かれて『えっ?』と思いました。
そんなの全く用意していませんでしたよ。
国によって、バレンタインデーの習慣が違うなんて、思いもつきません。
彼女をひどくがっかりさせてしまいました。

日本のバレンタインデーの特徴は、
女性から男性にプレゼント、特にチョコレートが贈られて、
それが(女性の)愛情表明の機会だと認識されていると言う事ですね。
そして、これが日本で広まった起源に関しては、
1936年の神戸モロゾフ製菓説
1958年のメリーチョコレート説
1960年の森永製菓説
1965年の伊勢丹説
1968年のソニープラザ説
と、色々あるらしいのですが、はっきりとはしていないようです。
英国では、文献に初めて出てくるのが、
カンタベリー物語で知られるチョーサーのParlement of Foules (1382)が最初らしい。
すでにロマンティックな日と認識されています。

英国では、男女双方からの愛情表現となっています。
これを知らなかったので、私は『ロマンティックな男』という看板を外すはめに陥ってしまいました。
男性が女性にお花とかディナーとか用意したりします。そう、ロマンティックなディナーは、男性が素敵なレストランを予約するんですね。
友人の話だと、英国での『女性から愛の告白』の日は、閏年の2月29日という事らしい。
4年に一度なんですね。

プレゼントはチョコレートも良いけど、美しいバラの花束がやはり王様じゃないでしょうか。。。

何年か前に、仕事が忙しくてすっかりバレンタインデーを忘れてしまった経験があります。
息子も、母の日にカードを贈るのを忘れた事が有ります。
ともに、妻を傷付けたようです。
それ以来我が家では、妻の誕生日、クリスマス、バレンタインデーや母の日が近づくと、
僕と息子でお互いに『プレゼント買った?』『カードは?』と、チェックしあうんです。

僕は、日本的な『女性が愛を告白する日』のコンセプトもなかなか良いと思うんですが。。。
*Only Roses(花束)
http://www.only-roses.com/
*Berkeley Hotelのプレタポルティー(食事/アフタヌーン・ティー)
http://www.the-berkeley.co.uk/fashionista_tea.aspx
*Charbonnel et Walker(チョコレート)
http://www.charbonnel.co.uk/
投稿時刻 00時19分
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(サンプラザ中野くんが、どのミュージカルを観に来たのか憶えていませんが “We Will Rock You “ は楽しいミュージカルです。ブリティッシュ・ロック・ファンにはおススメです。)
前回のブログでちょこっと触れた、
サンプラザ中野くんについて、さらっと。。。。
何年か前の話ですが、日本のプロモート会社のこずえさんから、
『サンプラザ中野くんが、ミュージカルを観にロンドンに行きます。
富岡さんは、彼の知り合いでしたよね?
ロンドンで再会をセッティングしますね。』
と、電話をもらいました。

(ロンドンのミュージカルの楽しみに、ミュージシャンの顔ぶれがあります。この ” We Will Rock You ” では、ギタリストが、元ウイッシュボーン・アッシュのローリー・ワイズフィールド、ベースが元ホワイト・スネークのニール・マリーです。他に超有名セッション・ドラマーのアンディ・ニューマーク(元スライ&ザ•ファミリーストーン、ジョン・レノンの”ダブル・ファンタジー”)が、ライオン・キングをやっています。)
久し振りです。
僕は、彼が爆風スランプでデビューする前の知り合いですから。
彼がまだ、千葉県柏の東葛高校にいた頃、僕はお隣の小金高校にいました。
お互いにバンド活動をしていて、彼はスーパー・スランプをやっていましたね。
僕のバンドのドラマーが、東葛高校にいた森永太郎君(今は鬼検事となって活躍しています)
だったので、サンプラザ中野くんとは繋がりました。
その後、僕は柏の”コロラド”という珈琲専門店でアルバイトをしていて、
彼はやはり近くの”モンテローザ”でバイトをしていました。
質実剛健な珈琲専門店、コロラドの主な客層が『保険勧誘のオバさん達』だったのに比べ
『モンテはオシャレな若者のデート御用達』ってカンジでした。
昼飯時には、彼は必ずコロラドの隣のカレー屋さん”ボンベイ”に来るので、
しばしば、外で立ち話をしたりしましたね。コロラドの時給が410円の時、モンテは500円近くだった。
そんな話をしたのを憶えています。
ボンベイでは、彼はカシミール・カレーが好きだったらしいけど、
僕はドライカレーの極辛を愛していました。

(柏祭りの爆風スランプ)
彼はヤマハのコンテストで出会った”爆風ガン”とくっついて”爆風スランプ”を結成。
その後の成功は、皆さん御存知ですね。
僕は兄や友達と一緒に”柏クレージーホース”というライブハウスを本拠に、マチュアのバンド活動を楽しみました。
それが青春時代です。
80年代半ば、爆風スランプが有名になって、柏祭りで演奏する事になります。
当時、僕は地元写真家のアシスタントをしていて、その柏祭りの撮影を命令されました。
西口の特設ステージに彼らがスタンバイして、バスターミナル付近には大勢のファンが集まっています。
『中野。俺、オフィシャル・フォトグラファーだから撮影させてくれ。』
『良いよ。』
と言う会話をしたのが最後です。

(柏祭りの爆風スランプ)
それで、25年後、いきなりロンドンの再会。
『富岡さん。何とも感動的じゃあないですか。』
なんて、周囲の人達から言われながら、ちょっと照れました。
で、僕の旧友、サンプラザ中野くんが登場です。
彼と目が合って、握手しようと前に何歩か進みました。
まず何って言おうか、なんて一瞬考えましたね。
そしたら、サンプラザ中野くん、
『富岡!ごめん。お前の事全然憶えていない。。』
『。。。。。。。。。』
周囲の人も『。。。。。。』
何気なく、身体を90°位回転させて、僕を見ないような体勢を取り始めました。

(左端が私です。もう恥ずかしさのあまり、顔がヒクヒクしていました。中野くんからなるべく離れようと試みています。)
あれっ。それはないだろう。
心の中で『東葛高校にいたヤツが、そんな記憶力悪くていいのかよ。。。』
なんて、思っています。

(美味しいモロッコ料理レストランのモモです。奥にパーティーの開けるスペースが有ります。これはJazztronikの野崎良太さんがDJしたパーティーの模様。素晴らしい夜でした。彼は僕を憶えています。と、思う。。。。)
まあ、しきって下さった方々のご好意で、
美味しいモロッコ料理のレストラン”MOMOで食事をしました。
サンプラザ中野くんは、恐縮したのか僕の横に座りました。
『薄情なヤツは来なくて良いのに。。』ってちらっと思いましたが、
ボンベイ、モンテローザ、森永太郎君、嶋田誠司君、ホワイト餃子とかの昔話で、異様に盛り上がりました。

『これだけ憶えているのに、俺の事だけスッポリ抜け落ちてていいのかよぉ。。』ってかなり強く思いましたね。

今では、彼をフェイスブックに連れ込んだので、繋がっています。
でも、”有名人を知ったかぶり” 状態に陥った恥ずかしい経験は、今でも心の傷としてしっかり刻まれているんです。
*Momo Restaurant
http://www.momoresto.com/restaurant/london/momo/
投稿時刻 21時06分
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僕は数年前に、両肩の手術をしました。
長年の酷使で、両肩のじん帯を切断してしまったのです。
医者から『2ヶ月仕事を休め』と言われたのですが、
働かないと一家を養っていけない身ですので、
2週間目には仕事を始めました。
機材を極力軽くしたいので、
それまで使っていた、重いキャンバス製のビリンガムのバッグをやめて、
ナイロン主体のものを使う様になりました。
ここ数年は、オーストラリアのクランプラー(Crumpler)の製品を各種使っています。
その大けが以前、僕は徹底的に英国ビリンガム製のカメラ・バッグに拘りました。
ハンド・メイドならではの、英国のビスポークの雰囲気を醸し出しています。
防水の為にキャンバス地でゴムをサンドイッチ状に挟み込む凝った素材で作ってあったり、
皮のエッジや真鍮製の部品を使用して、手間ひまをかけた英国的なハンドメイド、つまりサヴィル・ロウ的な頑固さを感じさせてくれます。
そのモノとしての美しさに参っていました。

初代のBillingham335は、90年に買いました。英国人のフォトグラファー達に、
『こんなクリーンなビリンガムは見た事がない』と、からかわれました。
皆、ボロボロにしていましたから。Barbourのジャケットなんかと同じです。
新品のビリンガムは、新人フォトグラファーの証拠だと言う事。
当時の英国のプロは、おそらく全員、ビリンガムを所持した経験があるはずです。
これを肩から下げていれば、プロだと認識されました。
.jpg)
(よく見ると、ポール・ウエラー、ノエル・ギャラガー、それに元ハンブル・パイのベーシスト、故グレッグ・リドリーのサインですね。キャンバス地が破れて、中のゴムの生地がむき出しです。)
大昔のスピグラのような、ステータスだったのです。
(この一文、分からない方はそれで大丈夫です。只のカメラ・マニアの雑談です)
丁度、今でも連載させて戴いている、レコード・コレクターズ誌の取材で、
ミュージシャンの撮影をしたり、コンサートの撮影をしたりし始めた時で、
故ロリー・ギャラガー、ピーター・グリーン、ジェフ・ベック、ミック・ジャガーと言った、
昔から僕が愛してやまないミュージシャンと出会う事になり、記念にバッグにサインを貰ったりしました。

ところが、ある頃から、そのサインを見たミュージシャンが、頼まなくてもどんどん勝手に(失礼!)
『僕もサインしていい?』と、サインしてくれるようになり、
僕の335は、色紙の寄せ書き状態となって行きました。
(もう消えかけていますが、故コージー・パウエル (元Jジェフ・ベック、レインボウ)が、ピーター・グリーンのスプリンター・グループに在籍していた時にサインを貰いました。ハーレーをコンサート会場に乗り付けて、いつも颯爽とした名ドラマーでした。下には、彼の盟友、ニール・マリーのサインも見えます)
色々なレコーディング・セッションを撮影したため、バッグにもうサインをする隙間が無くなってしまいました。
それで二代目335を買ったのが、多分97年位でしょうか
.jpg)
初代の典型的なキャンバス地と違い、これはナイロンとの混紡です。

(クラプトンとのセッションとかで知られる、レイ・クーパーさんは、大の日本好きです。『Domo/どーも』って書いてくれました。彼はロンドンのお好み焼きやさん、ABENOを愛してやみません。)
雨にはこっちの方が強いですね。でも見た目はちょっと劣るかも。
サインとかはもう、専門家に鑑定してもらわないと、誰が誰か分かりません。

三代目はグリーンです。前の二つに比べると、微妙にプロポーションが変化しています。

(手前がマシュー・ボーン。彼のダンス・カンパニーが ”エドワード・シザーハンズ” を演じていた時にサインを戴きました。その上がちょっと変わった、ジョニー・デップのサイン。その左はウッディ・アレン。奥は元ザ•スミスのジョニー・マー。右の大きいのは名作 ”ピアノ” で有名なマイケル・ナイマン。)

(真ん中は、ピンク・フロイドとかのレコード・ジャケットで有名なヒプノシスのストーム・トーガスン。上に見えるのはアレクサンダー・マックイーン。左下にはカズオ・イシグロ。素敵な方でした。
内部のクッションも少し固くなって来ました。

(これはサンプラザ中野くん。ワケ有りなので、次回にまた書きます。。。)
このバッグを使っている時期に、肩をけがしてしまったのです。
四つ目は、ブラックの550です。ビリンガムで一番大きいバッグですね。

ハッセルブラッドやサイナー(日本ではジナーと呼びますね)が必要な撮影に最適な大きさです。
僕はどちらも所有していませんが。以前、フランスのアシェット社の依頼で生け花の本の撮影をした際に、
湯水の様にポラロイドを切る程、大掛かりな機材が必要だったので購入しました(05年位?)が、
それ以来そんな仕事の依頼は来ません。
ですから、仕事部屋で埃にまみれて、機材収納用バッグとして堕落しています。
五つ目は、カメラが一台だけ入るBETA03というバッグです。

(ポール・スミスのトレードマークのウサギ)
トップ・へヴィーでバランスが悪いので、バッグとしては失敗作だと言えます。
でも、スペアのカメラを入れて、撮影現場に持って行ったりします。

(僕の肩を心配してくれたヴィヴィアン・ウエストウッド)
手術から復帰して、まだ包帯だらけで仕事していたので、ポール・スミスやキャサリン・ハムネット

(僕にはいつも優しくしてくれる、キャサリン・ハムネットのサインとメッセージ)
ヴィヴィアン・ウエストウッドが、激励を書いてくれました。
.jpg)
(エリック・クラプトンさん)
のちに、エリック・クラプトンとチャーリー・ワッツがサインしてくれました。
.jpg)
(チャーリー・ワッツのサインは読めません)
DELTA POCKETS X2 もあります。

(真ん中にジェフ・ベック。下が、ブライアン・イーノと彼の可愛らしい娘さんのサイン)
これは単独のバッグではなくて、前述の335にくっつけて、エキストラのスペースを与えてくれるものです。
一つにフィルムが20本は入りますし、スペアのカメラ・ボディも入ります。
非常に役に立ってくれましたね。
僕は335の大きさに執着しました。この上の445だと、僕には大き過ぎます。
フットワークが重くなる。だから、このデルタ・ポケットは恩恵でしたね。
こんなに素晴らしいビリンガムのカメラ・バッグ。
所有する満足度も最高です。
今でも肩に掛けると、僕の体にすっと密着して馴染みます。
良質のジャケットを羽織っているかの様です。
ただ、前述の肩のけがが理由で使わなくなりました。
それは、このバッグが物理的に重かったという事実ですが、
今では、このバッグが持つ存在感やイメージが、僕にはちょっと重く感じられます。
またいつかビリンガルに戻るのかも知れませんが、
しばらくはナイロン製のクランプラーを使って、
目立たないで仕事をしようという気分です。
投稿時刻 11時46分
アウトドア | アート | イングリィッシュ・ティー | カルチャー | シアター | ショッピング | ショップ | バレエ | ファッション | フォトグラフィー | フラワー | フード | ライフスタイル | 写真 | 劇場 | 教育 | 文化 | 旅行 | 映画 | 未分類 | 演劇 | 留学 | 音楽
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