イギリスに滞在中のヴァージン特派員達が、イギリスの「今」の情報をお届けします!!

富岡秀次 プロフィール
85年にフリー・フォトグラファー。 90年からロンドンをベースに、ミュージック、ファッション、旅、映画、演劇、ミュージカル、バレエ他、英文化全般を対象に撮影活動をしている。


(御存知、アーセナルFCの名監督、アーセン・ヴェンガーさん。日本人には『ベンゲルさん』の方が通りが良さそうですね。
彼の撮影をしてから、アーセナルのダイハードなサポーターとなった私です。)
いよいよ今日がプレミア・リーグの最終日です!
大興奮!なぜならば、
(1)優勝争いで、現在1位のマンチェスター・シティ(以下マン・シティ)と2位のマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)のポイント数が、全く同じ86点。
2チームを分けているのは、ゴール・ディファレンス(試合で得点を入れた数の合計から、得点を入れられた数の合計を引いたもの)がマン・シティが+63でマンUが+55という事実。
今日の試合で今シーズンの優勝チームが決定されます。
これは、92年にプレミア・リーグが始まって以来の大事件ですよ。
それに、もし2チームが同点なのに、ゴール・ディファレンスで優勝の明暗を分けたとしたら、
それもプレミア・リーグ初の出来事となります。
更に、マン・シティの対戦相手のQPR は降格争いにも参加しているので負けられません。
もっと面白い事に、そのQPRの監督のマーク・ヒューズ。
彼は、選手時代にはマンUの名選手で、
監督になってから08年にライヴァルのマン・シティにいくと言う行動に走りましたが、
ほんの1年後には現マン・シティのロベルト・マンチーニに監督の座を奪われ、クビになっています。
うーん。マンUの大監督、アレックス・ファーガスンに対する恩義もあるし、
ヒューズ監督としては、男のプライドを取り戻すためにも、
マン・シティをこてんぱんに叩きのめしたい思いでしょう。。。

稲本潤一さんも、アーセナル〜フラムと、プレミア・リーグで活躍してくれましたね。やはり、撮影してから、彼の大ファンになりました。)
(2)熾烈な3位争いが、今日決定されます。
アーセナルが67点、アーセナル最大のライヴァルトテナムが66点、ダークホースのニューカースルが65点。
今日の勝敗で、どのチームが3位になるかは、
来期ヨーロッパのエリート・チームが戦う“チャンピオン・リーグに出場出来るかが決まります。
プレミア・リーグの場合、4位まで出場権があるのですが、4
位は予選から勝ち進まないといけないので、3位と4位の差は大きいんですよね。
それに、なんと今期はプレミア・リーグ戦で大不振のチェルシー(現在6位)が、チャンピオンズ・リーグでは大活躍を繰り返し、
最大の優勝候補だったバルセロナ(スペイン)を破り決勝進出。
もし、チェルチーがこのチャンピオンズ・リーグで優勝すると、
当然来期のチャンピオンズ・リーグの出場権を自動的に得るので、
プレミア・リーグで今日4位が決定するチームも、
ひょっとしたら来年チャンピオンズ・リーグの出場権がなくなる可能性があるわけです。
だから、なんとしても3位の地位を勝ち取りたいんです。
実際に同じ事が05年に起きています。
プレミア・リーグで不振のリヴァプールが、チャンピオンズ・リーグの決勝で、まさか(奇跡)の優勝。
次期のチャンピオンズ・リーグ出場が決まっていたエヴァートン(プレミア4位)が、
残念ながら出場権を失うという前例のない事が起こったのです。
もう、これが皆の脳裏にあるので、なんとか3位になりたい。。。
今日は3チーム共に負けられません。
チャンピオンズ・リーグに参加すると、TVの放映権等で、約£50ミリオンの収益が生まれます。
それに、ヨーロッパのトップ・クラスの選手を獲得するのに、
『チャンピオンズ・リーグでプレイさせてあげよう』は殺し文句となっています。
チャンピオンズ・リーグに参加していないチームは、エリートと見なされないのですね。

(バレエに夢中になる前は、息子は完全なフットボール少年でした。ウエスト・ハムFCのアカデミーにスカウトされた事も有りましたが、彼の性格ではフットボールのプロになるのは無理だったでしょうね。)
(3)降格争い。プレミア・リーグは全部で20チームあります。
下位3チームが“チャンピオンシップ”と言う、プレミアの下のリーグに降格します。
チャンピオンシップからは上位の3チームが、プレミア・リーグにあがって来るしくみです。
以前は“ファースト・ディヴィジョン“と呼ばれていたのに、
前述のヨーロッパのエリート・チームのチャンピオンズ・リーグと紛らわしい名前に変えるなんて、
なんとも馬鹿な決断をしたものです。閑話休題。。
ま、とにかくプレミア・リーグでは20位のウォルヴスと19位のブラックバーンの降格は決定しています。1
8位のボルトン(アーセナルからローンで出された宮市亮が活躍していますね)
か17位の前述のQPRのどちらが降格になるのか、これも興味が尽きません。
あと10分でキック・オフです!
これからリーグ開幕まで、イギリスの男達は何とも気の抜けた生活を強いられる事となります。
もう、今日はTVの前に陣取って、徹底的にフットボールを楽しみますよ!!!
電話をかけて来られても、出ませんからね。悪しからず!!
ハーフ・タイムの途中経過。
結果から言うと、今のところ(1)優勝はマン・シティ。(2)3位がトテナム。アーセナルが4位。(3)降格するのはQPRですが、
もう、ジェット・コースターに乗っている様に、状況が変わります。
今年は最高!
あ、また変化した。QPRが得点を入れた!(1)首位がマン・Uで、(3)ボルトンが降格。となりました。。。興奮するなぁ。
FTです。プレミア・リーグ史上、最大のドラマに発展しました。
マン・シティ順調にQPRを追い込んでいき、マン・シティのボール保有率が80%を越していました。マン・シティが先に得点して0-1 でリードしたのに、
その語 1-1の同点。そして、まさかの 1-2. でQPR がリード
悪名高いQPRの暴力キャプテン、ジョイー・バートンが馬鹿げた暴力行為で退場。
90分の試合時間が終わって、エキストラ・タイムは5分と告知されました。
それでもQPRは持ちこたえて、91分の時点では、まだ1-2で、マン・シティのファンは諦めて泣いていました。
マンUは 1-0 で試合を終え、ほぼ自分たちの優勝を信じています。
それなのに、そのあと続き様に2点をいれる大逆転。
こんな信じられないドラマの連続に、僕らは狂喜乱舞です。
結局、マン・シティが優勝。アーセナルが3位の地位を確保。
ボルトンが残念ながら下リーグに降格、と言った結果になりました。
こんな最終日なんか、二度と訪れる事は無いと思いますよ。
あ〜あ、疲れた〜。
投稿時刻 23時02分
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(撮影:富岡秀次/ Shu Tomioka. 大切な友人、ウエンディーの結婚式が先日ありました。普段、結婚式の撮影は責任が重いのでしたくないのですが、親しい友人の場合は別です。これは新郎のリッチの『ゴルフ仲間』のグループのショット)
昨夜、音楽関係の仕事のパーティーがありました。
そこで取材中に、ここ10年程シンプリー・レッドのギタリストとして活躍していらっしゃる、鈴木賢司さんに会いました。
共通の友人がいるのに、いまだに会った事がなかったので、良い機会に色々とおしゃべりをさせて貰いました。
とても、フレンドリーで素敵な方で、話が弾みました。
実は僕は、彼が高校生のときから彼の名前を耳にしていました。
以前僕がサンプラザ中野くんの話を書いた時に、千葉県柏のディープな話をしてしまったので、
知り合いから『なんてこった!ロンドンの話をするように!』とお叱りを受けたのですが、
先に断っておきますが、またあの辺りの話になってしまいます。。。

(撮影:富岡秀次/ Shu Tomioka
これは以前、僕が大好きな服のブランド " SILAS " のファッション・シューティングをした際のスナップ。仲良くなったデザイナーのラッセル(右から二人目)のアイデアで、彼の仲間を集めて、皆にサイラスの服を着せて撮影しました。
一番左は、当時フランツ・ファーディナンドが大ヒットで、アークティック・モンキーズをデビューさせたばかりのインディーズの名門”ドミノ・レコーズ”の創設者ロレンス・ベル。真ん中で赤い服を着ているのが、まだ大ブレークする前のプランB)
彼は専修松戸高校に在籍していたのですが、とにかくギターが上手くて、
僕がよく演奏していた『柏クレージーホース』にたむろしていた後輩から、彼の噂を聞いていました。
曰く『学ラン着てジミヘンばりにギターを弾き倒す』云々。
で、そんな話を昨夜していたのですが、彼も、僕らのバンドが練習に使っていた『グルッペ』という喫茶店で練習していたとか。。
こういう偶然で、話は弾むんですよねぇ。
それで、もう随分前に書き始めた友情とか人の出会いとかの話の続編を、まだ書いていなかった事を思い出しました。

(撮影:富岡秀次/ Shu Tomioka
せっかく仲良しになったなるみちゃん(中央)が日本に帰国する事となったので、お別れ会がありました。考えてみると、FBのようなウエッブ上の付き合いに、お別れは無いですよね)
僕は数ヶ月前に、昔のバンド仲間で親友だった石川文彦君を亡くしました。
他のバンド仲間と、彼の死を連絡し合うのにFB(フェイス・ブック)が強力に役に立ちました。
そして、FBを使って友人達とその悲しみを語り合う事が、痛手を和らげてくれているのに気付きました。
FBってバカに出来ないな、と思いました。
ぼくの息子の櫂のFBには、友達が2,500人程います。
大半は会った事も無い人なんだろうと想像します。
『彼らは本物の友達じゃないぞ。”想像上”の友達だぞ。』と、彼にはいつも冗談で言っています。

(撮影:富岡秀次/ Shu Tomioka
同じ職業、目的を持った仲間なら強い結束が期待できますね。これはニュー・マーケットで撮影しました)
先月、僕の誕生日があったのですが、誕生日のメッセージが70も届きました。
今迄の人生で、あり得なかった出来事です。
会った事のある人、無い人。友人状態で繋がってはいても、今迄一度もメッセージのやりとりをした事の無い人。
戴いたメッセージを一つ一つ読んで行くと、全て温かい心が籠っているのが分かりました。
FBの人間関係って、決して人工のものじゃないんだなぁと、思えました。
FBが犯罪に使われる事も少なくないし、
実際に触れられない、肉体を伴わない人間関係に、僕は正直なところかなり懐疑的だったのですが。。。

(撮影:富岡秀次/ Shu Tomioka)
前述の鈴木賢司さんとの出会いのように、実体と対峙するダイナミックな出会いとは違いますが、
FBならではの、自分のペースを崩さないですむ”出会い”にも良さがあるのではないでしょうか。

(FBに限らず、匿名性を持つインターネット上では、その危険性を充分に認識する必要があります。みんな、気を付けましょうね!)
結局、使う人の誠実さって、FBを通しても感じられたりするんですよね。不思議と。
これからどのように発展して行くのか、僕には全く読めないのですが、
しばらくの間、FBとつきあってみようと思います。
投稿時刻 09時53分
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(ヴィンテージ・ベントレーに乗ったセルフ・ポートレート。かなり揺れます!)
先日、仕事でベントレー・ドライヴァーズ・クラブに行ってきました。
そこに集まったヴィンテージ・ベントレー(英語の発音ではベントリーに近いです)5台の撮影です。
僕は詳しく知らなくて、『ヴィンテージ・ベントレー』=『古いベントレー』と解釈していたのですが、
1919年から、ライヴァルのロールス・ロイス社に買収される1931年迄の
12年間に造られたベントレーの事を指すのですね。
つまり、実際にW.O.ベントレー氏が製作していた時期の”本物”のベントレーと言う事。
約三千台が生産され、今でも千二百台が現存しているそう。
ヴィンテージ・ベントレーが当時絶対的な評価を得たのは、
あのル・マン耐久レースで30年迄に五勝挙げた事が理由でしょう。
スピードだけでなく、文字通り『耐久性』に優れていた事の証です。
この頃のベントリーを考えると、すぐに頭に浮かぶのが、白洲次郎氏の事です。
1920年代にケンブリッジ大学に留学していた白洲次郎氏の生活は、
明らかに日本人の常識を超え、今では伝説としか思えません。
白洲次郎氏は1924年5月24日に、前述のル・マンで優勝したジョン・ダフから、
直接3リッターのモデルを購入したそうです。
僕は、次郎氏のお孫さんの白洲信哉さんと一緒に、次郎氏とケンブリッジの親友のロビン氏が、
1925ー1926年の冬に、ヴィンテージ・ベントレーを駆ってヨーロッパ旅行した跡を、
最新のベントレーに乗って再現する旅をした事があります。
それは男性誌のメンズ・エックスに連載され、のちに幻冬舍から「白洲次郎の青春」という、
奇麗な本にまとめられました。

(「白洲次郎の青春」白洲信哉著/幻冬舎。
カヴァーは3リッターのモデルに乗った次郎氏。
「Winter Vacation 1925-1926」と書かれた次郎氏所有のこの冒険旅行の写真アルバムからの1枚。)
http://www.amazon.co.jp/白洲次郎の青春-白洲-信哉/dp/4344013751/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1335471942&sr=1-5
信哉さんとの旅は、何とも楽しく、美味しい珍道中となりましたが、
最新のスーパーカーをもってしても、かなりハードな旅でした。
ポーツマスを出発し、フランスースペインを抜け、ジブラルタルに到達する旅。
実際には次郎氏はそのあとも旅を続けたという話です。
それをあの時代にこなしていた事を考えると、次郎氏とロビン氏の若いエネルギーに羨ましさを感じると同時に、
ベントレーの実力に、全く驚かされます。
車のスピード云々等より、当時の未舗装の道路事情を考えると、よくもこの距離を持ちこたえたものだと、脱帽です。

(セビーリャのアルカサール宮殿。左ページ下の黄ばんだ2枚の写真が白洲次郎氏が80年前に撮影したもの。白洲次郎の青春」白洲信哉著/幻冬舎から。
右ページと左ページの上の写真が、それとそっくりに私が撮影したもの。80年間変化していない風景に驚愕しました。)
集まってくれたベントレー・ドライヴァーズ・クラブの5人は、
会長のマイクさんも含め、皆さんとてもフレンドリーです。
5台のベントレーは、もちろん青空の下、ボンネットの中のエンジンまで、徹底的に磨き上げられています。
皆さん、機種が違うようです。
皆で集まるのは、やはり珍しいらしく、皆さん自分の愛車を誇らしげに見つめながら、
他の人のベントレーも気になるよう。
オジさん達が、お互いに色々質問し合っているのが可愛いかったです。
コッツウオルズの村が見下ろせる高台迄乗っていって、集合写真を撮影。
その後は、本格的な走りの撮影に挑戦です。
安全のためにハーネスを着用し、金具をベントレーの助手席にアタッチします。
身体を後方に向けて安定させます。
後ろから4台のベントレーが追ってくるのを撮影するわけです。
何台か乗車するベントレーを変える贅沢!!!
皆さん、気持ちよく助手席に乗せて下さいます。
なんという爽快感。
相当なスピードが出るので、助手席では、現代のスポーツカーに乗っているのと変わりがありません。
でも、運転する方は随分と違います。
高齢の皆さん、流石にベントレー・ボーイですから、慣れた様子できびきびと運転なさっていますが、
ステアリングの操作、クラッチのつなげ方、ブレーキングなど、かなり力がいる仕事ですね。これは。
それに、とにかく大きい!
乗っていると、車高が高くてボンネットが長いので、クルーザーに乗っているカンジでしょうか。
目の前の、美しいマホガニー材のパネルやクラシカルな計器類は、正に高級車の雰囲気が漂います。
計器は現在の車の場合『スピード・メーター以外ほとんど見ない』と言う方も多いでしょうが、
ヴィンテージ・ベントレーでは、飾りでは無くて『必要だからここにある』と言う事。
走りながら油圧計(?)を見て、針が下がって来ると、器用にも左手でポンプを何度も押したり引いたりして、
圧力をかけながら運転します。
これは、僕が70年代に買って今でもキャンプで愛用している、
コールマン製のストーブ”ピーク・ワン”と同じ理屈ですね。
気温が低い時には、頻繁にポンプを押したり引いたりしてます。
.jpg)
(下が次郎氏の写真。アルバムには撮影場所が書かれていなかったので難儀しましたが、
奇跡的に僕らはこの場所を発見したのです。ガイドの谷口さんのお手柄。
後ろの小山は『人面岩』と呼ばれていましたが、その所在はほとんど知られていなかったようです。写真を反時計周りに90°傾けみて下さい。僕の写真では、最新のベントレーを配置。白洲次郎の青春」白洲信哉著/幻冬舎から。)
ギヤは運転席の右側、つまりドアを開けてすぐのところにあります。
右手で操作するんですね。
ハンド・ブレーキはドアの外。つまり運転席のドアのヒンジの辺りにあり、やはり右手で操作します。
この辺、クラシカルなクルマのファンの方達には常識なのでしょうか。。
素人目には、この手の物って、今のように運転席と助手席の間にある方が自然だと思うのですが。。
僕はメカニカルな事に疎いので申し訳ないのですが、これって米国、ドイツ、フランスのように、
「左ハンドルのクルマ」でも同じでしょうか?
つまり(1)「左ハンドルのクルマ」のパーツを流用したので、こういうレイアウトとなった。
或は(2)操作に力を要するので、大多数の右利きの人に合わせて、操作部を右にレイアウトした。。
このどちらかなのでしょうか?どなたか教えて下さいませんか?

(80年を隔てて、孫とそのベントレー対祖父とそのベントレー 。白洲次郎の青春」白洲信哉著/幻冬舎から。)
一番高齢の方が運転するのが3リッターの初期型のベントレー。
これがおそらく、白洲次郎氏の所有したものに一番近いのでしょう。
この型は、まだギア比の設定が良くなく、運転が難しく、コツが必要らしいですが、
このお爺さま、悠々と運転なさってます。流石。。。
前時代的な容貌のベントレーですが、交通の流れに乗れて、
きびきび走ります。
毎日の通勤の足にだって使えそうなくらいでしたよ。驚きです。
足腰のしっかりした、品のあるお爺ちゃんの風情ですね。
目からウロコでしたよ。いやあ、ほんとうに。。。。。
(白洲次郎の青春」白洲信哉著/幻冬舎から抜粋)
白洲次郎
1902年−1985年。
1919年にケンブリッジ留学。
1928年に帰国。翌年、樺山伯爵家の次女、正子と結婚。
1945年終戦連絡中央事務局参与に就任。
GHQとの交渉に当たり、「日本国憲法」誕生の現場に立ち会う。
白洲信哉
1965年生まれ。
細川護熙首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。
他にアート、文化イヴェントのプロデュース。
父方の祖父母は白洲次郎、正子。
母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。
著書に「小林秀雄 美と出会う旅/新潮社」
「白洲正子の贈り物/世界文化社」ほか。
投稿時刻 05時32分
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(Saskia/ Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by her parent.)
(サスキア14歳/撮影:富岡秀次 写真の掲載許可は彼女のご両親から貰っています。)
さて、今日から、いよいよロンドン・チルドレン'ズ・バレエ (LCB) の公演が始まります。
ウエスト・エンドの名門、ピーコック・シアターで行われるこの公演は、イースターの恒例となっていて、
今日4月19日がプレミアとなり、22日の日曜日まで毎日続きます。
チケットはまだ少し残っているかもしれません。
トライするなら以下へ。
www.sadlerswells.com
.jpg)
(Lydia/ Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by her parent.)
(リディア11歳/撮影:富岡秀次 写真の掲載許可は彼女のご両親から貰っています。
去年もそうでしたが、彼女はポーツマスに住んでいるので、公演中は毎日通う事が出来ないので我が家に泊まります。
彼女は両耳が不自由なのに、驚くべきリズム感で踊るんです。)
LCBはチャリティー・トラストとして、ルシール・ブライアンスさん(現在はアーティスティック・ダイレクター)によって94年に発足されました。
女の子(9−14歳)男の子(9−16歳)の子供のバレエ・ダンサーに、
プロフェッショナルな公演を経験させあげるのを目的としています。
それによって、ダンサーとしての将来を実際に感じとる事ができます。
ここで踊れる事は、英国の子供のバレエ・ダンサーの中でも、トップ・クラスである事を証明するので、
とても人気があり、オーディションに合格する事は年々困難になって来ています。

(Saskia/ Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by her parent.)
振り付けのサマンサはロイヤル・バレエの現役のソロイストであり、
バレエ・ミストレスのジェインは、ロイヤル・バレエ・アッパー・スクールで教ています。
ピアニストのアンディーはイングリッシュ・ナショナル・バレエやセントラル・バレエ・スクールで、弾いています。
舞台デザイン、衣装デザイン、照明等々、全てロンドンの劇場で名を知られる、一流の人々がボランティアで参加しています。

(Saskia/ Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by her parent.)
こういうのがイギリスの懐の深さを表していますね。
ぼくは、オフィシャル・フォトグラファーの一人として、練習風景の撮影を依頼されましたので、何度か練習場に通いました。
それらの写真はプログラムや雑誌の記事で使われるようです。

(Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by their parent.)
今年の演目は “リトル・プリンセス/小公女” です。
アメリカの小説家フランシス・ホジソン・バーネットによる有名な児童文学ですが、
僕には95年の同名映画(リーセル・マシューズ主演)の印象が強く残っています。
LCBでは、主演のセーラは13歳のエラが踊ります。

(London Children"s Ballet- A Little Princes Official Poster : photo by PedroFerrer)
彼女は今年ロイヤル・バレエに入りますが、13歳とは思えないテクニックと、主演を演じ切る舞台映え、つまり華があります。
実際、女の子達のレヴェルの高さには驚かされます。
男の子達は、これからどんどん技術が身に付いてくる時期なので、今の段階では、まだどうしても女の子達の動きに目を奪われる事でしょう。

(Archie / Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by his parent.)
(アーチー11歳/撮影:富岡秀次 写真の掲載許可は彼のご両親から貰っています。
彼も遠方にに住んでいるので、公演中は毎日通う事が出来ない為我が家に泊まります。)

(Jack/ Photo by Shu Tomioka : I got a permission to publish this photo by his parent.)
(ジャック16歳/撮影:富岡秀次 写真の掲載許可は彼のご両親から貰っています。)
ちなみに僕の息子、櫂はラム・ダス(寄宿学校の隣に住む老富豪に使えるインド人)の役をやります。
今年で櫂は16歳なので、最後の公演となります。

(Kai/ Photo by Shu Tomioka )
正月から毎週日曜日を、一日中練習に費やした結果がどうでるのか。。
でも、そんな事は大した事じゃぁないですね。
ただただ『ひたすら今を楽しんでもらいたい』と、妻も私も心から思っているんです。
投稿時刻 11時04分
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(『007 慰めの報酬』の取材パス。奥の眼鏡が、エキストラ時に必須の眼鏡です。)
翌朝も、睡眠3時間でナイト・バスに乗り込みます。
ハンプシャーの撮影現場につく頃には、だんだんエキストラでいる事が板についてきたような気がしました。
そう、外出するのに、自分の見た目が気にならなくなったのがその証です。。
まだまだ“しもやけ”顔は膨らみ『昨夜飲み過ぎたの?』と、人から言われる程、真っ赤です。
普段『本当は結構年取ってます』と説明しないと、誤解されるくらい、実際の年齢より若く見られる事が多いのですが、いや、本当に、
今では深い皺が何本も顔を縦断していて、『ワシって、本当はそんなに年寄りじゃあ無いんだよね。』と言い訳しなくてはいけないくらい、爺臭く見えます。
”ダルマさんが転んだ”みたいに、振り向く度に、爺さん達が笑顔で接近して来るのがコワい。。
今日の警官役は、昨日より人数が少ない。
昨日、何人かの警官役の人が『僕は明日呼ばれていないんだ。なんでだろう。。』と心配そうに言っていたのを思い出します。
みんな、自分の演じる役や呼ばれる(コール・アップ/call up されると表現します)回数を気にしているみたい。
それに、エキストラ仲間達が、まずカメラの位置を確認して、写りそうな辺りに佇むのに気づきました。僕はいつも、人の行かない余った場所に配置されます。
僕はなるべくそういう感情から離れるように気を使いました。
言われた事を忠実にこなすだけです。
なんだかんだ言っても、エージェントは僕たちの顔写真を持っています。それで、誰をブッキングするか決める訳ですから、与えられた役によっては嫉妬も湧いて来るようです。
『なんであの娘がGo-Goガールなのに、あたしは鰻屋の女将なのよ。』みたいのは、心情的に分かります。
でも、僕は本気でプロのエキストラを目指しているわけじゃあありませんから。。

(本文と関係なく以前 “20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン株式会社”の仕事で、Aston Martin を取材したときのものです。)
大雨の中の撮影で、警官では僕だけが眼鏡をかけるのを許されました。
70年代が舞台になっている設定ですから、モダンな眼鏡をかけていると、外すように指示されます。この辺、衣装係の人たちが、セットでいつもチェックしています。だからほとんどの人がコンタクト・レンズを着用しています。
僕はコンタクト・レンズをした事が無いので、古くさい眼鏡を持参しました。
耳のところが蔓になっている丸メガネです。
僕がこれをかけると、ビルマの旧日本陸軍の兵士のように見えるらしく、スタッフに好評でした。
第一アシスタント・ディレクターが僕に近づいて来ます。
この人もハリウッド映画で有名な人です。以前テレビで見た事があります。
『なんて言う名前?シュウ?ハロー、シュウ。そのメガネとてもカッコいいな。
次のシーンは君のメガネにクローズアップして、そこから始める。
あそこのカメラの横に、赤いジャケットの可愛い女の娘が見えるかい?
あの娘を見ていてくれるかい?それからスタートだ。それにしてもカッコいいメガネだね。。』
笑顔の素敵なアシスタント・ディレクターです。
さすがにハリウッド。物の美が分かります。
他の警官役達が、遠くからじっと僕を見つめています。
アブナい。ニヤケてはいけません。笑顔にならないように口を一文字に閉じます。
さあ、ハリウッド映画に顔デビューです。
『レイン・オン!カメラ・ローリング!!』
僕は、赤いジャケットを着込んだ可愛い娘を凝視します。
激しい雨が顔を襲います。でも“しもやけ”の顔ももう痛くありません。
何たって、この顔からこのシーンがスタートするんですから。
『カット!』
何度か同じアクションを繰り返します。
その度に、カメラは僕にフォーカスし直します。
そう、ニヤケないようにと自分を戒めます。
『レイン・オン!』
例の娘をまた凝視します。
すると監督が何か大きな声で言っています。
でも最初は、雨音が凄くて聞き取れません。
『カメラを見るな!』えっ?何?
『カメラから目を離せ!』えー!見てない、見てない。
僕が見ていたのは可愛い娘で。。
『いいから、背中を向けろ!』
えっ!えっ!分かりました!!。。。。。。。
結局、僕はカメラに背中を向けながらデビューを終えてしまった様です。
相棒の警官役の香港チャイニーズのケヴィン君が、
『残念だったな。もう少しだったのに。。』と言います。
僕のように、ニヤケない努力はするつもりがないらしい。

(アルメイダ・シアターの名ダイレクターのジョナサン・ケント。 2000.年にゲインズブラ・スタジオの内部で撮影しました。)
ランチ・ブレーク。。。。。。。。
だいたい皆、同じ役同志でまとまって食事をします。
スマート・フォンでエキストラの情報交換をしているのを、僕は横で聞いています。
『来週はBBCでエキストラだ。』とティム君。他のテーブルの 香港チャイニーズも集まってきます。
彼らは本当に仲が良い。
そのうち、メールを見ながら、
『あれ、明日もここにコール・アップされた』と言う人が出てきました。
次々に『俺も』『俺もさ』と言う声が。
僕は心の中で、さっきのシーンを撮り直しするのかなぁ、と心配になってきました。
明日は自分の本業で仕事があります。ここにくる事は出来ません。困りました。
まあ、でも本気でプロのエキストラを目指しているわけじゃあありませんから。
iPhoneでメールをチェックしてみます。
『新着メール無し』と出ています。
きっちりとチェックしてみます。
呼ばれてません。
おいおい、嘘だろう。俺だけいらないのかよ!
『分かったよ。もう二度とやらねーよ。』
って、ガラ悪く呟きましたね。
そして、ちょっと俯き加減で午後の撮影に向かいました。
また雨に打たれた後、メールをチェックしたら、
『再来週、ジェームズ・ボンドでエキストラをしませんか?』とエージェントからのメールが入っていました。
エキストラな生活出来るかもしれないなぁと、ちらっと思いました。
でも、顔の腫れが直らないと何も始まらないなぁ。そしたらまた考えるか。。。。
投稿時刻 07時17分
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