2010年8月19日
今、Elizabeth GilbertのEat, Pray, Loveという英語の本を読んでいます。『食べて、祈って、恋をして』というタイトルで日本語訳も出ています。離婚と恋愛に振り回され、アイデンティティ・クライシスに陥ったニューヨーク在住の34歳のアメリカ人女性が、イタリア、インド、インドネシア(バリ)に一年間滞在し、心の平安と愛を見つけるまでの日記です(実話です)。抱腹絶倒の知的自己探究の書。この本を読みながら、私は著者との共通点を1つ見つけました。彼女は旅に出ても、どの建物がどんな建築様式であるといった蘊蓄や史実に殆ど興味を持たない。自分が探しているのは、常にその土地や場所に潜む物語(ストーリー)だと。
実は私も同じです。いつどこへ行っても、映画のロケーションになりそうな場所やストーリーを探してしまう。知らない町ですれ違う人の生活や人生を想像しながら、自然にその人の物語を映画にしたいと考えてしまうのです。

Lake District 湖の情景
CGではなく、本当にこんな風景があるんです
写真提供:Cumbria Tourism
湖水地方に行った時、私の心を惹き付けた物語は、ロマン派の詩人、ウィリアム・ワーズワースの生涯でした。この土地を愛したワーズワースが列車の開通を阻止したお蔭で、景観が守られたと言い伝えられています。同様に、湖水地方を守るために土地を購入し、ナショナル・トラストに寄付したのが、ピーター・ラビットの絵本で知られるベアトリクス・ポターです。彼女は女の子だからという理由で学校に行かせてもらえなかったため、動物や植物を観察するようになって絵を描き始めたとか。彼女の人生はレニー・ゼルウェガー主演で映画化されましたね。

典型的な湖水地方の田園風景
写真提供:Cumbria Tourism
しかし、私がとりわけ興味を持ったのは、ワーズワースのフランスでの体験と妹ドロシーとの関係でした。これらはあまり一般的に知られていないけれど、ワーズワースが晩年暮らしたライダル・マウントなどを訪れると、ガイドさんによってはちょっぴり話してくれる、知る人ぞ知る逸話です。
ウィリアム・ワーズワースは1770年、湖水地方で貴族に仕える法律家一家の5人の子供の次男として生まれました。彼の1歳年下の妹ドロシー以外は皆、男の子でした。78年、ウィリアムが7歳の時に母が病死すると、彼は学校にやられ、ドロシーは親戚の家に送られ、ふたりは離ればなれになりました。兄と妹が再会したのはその10年後のことで、その頃には父も亡くなっていました。成長してから出逢った思春期の二人は、互いに対して異性に対する感情のようなものを抱いたのかもしれません。
まもなくウィリアムはケンブリッジ大学に進学しますが、若く理想に満ちたこの青年は、フランス革命の理念に惹かれ、渡仏します。そこで彼はアネット・ヴァロンというフランス人女性と恋に落ちます。翌年、アネットはウィリアムの子を妊娠し、女の子を出産します。しかし、革命に続く恐怖政治、英仏戦争、経済的事情、宗教上の問題、そして恐らくアネットとの個人的隔たり等、様々な理由から、ウィリアムはフランスに残れなくなり、単身イギリスへ戻るのでした。

写真提供:Cumbria Tourism
失望と自己疑念に打ちひしがれ、失意の底にいたウィリアムを救ったのは妹のドロシーでした。ふたりは湖水地方で新しい人生を始めるため、1799年にダヴ・コテージを借ります。そこでウィリアムは創作活動を始め、名作『水仙』を書きます。「雲のように私は彷徨っていた」という有名な書き出しは、実はドロシーがつけていた日記『グラスミア・ジャーナル』のふたりで水仙を見た日の記載から閃きを得て生まれたといわれています。ドロシーはウィリアムの詩に多大な影響を与えたのです。

「煌めく星の群れのように、水仙は喜びに満ちて踊っていた…」
(ワーズワース『水仙』より)
通常3月末から咲き始めます
写真提供:Cumbria Tourism

写真提供:Cumbria Tourism
1802年、32歳になったウィリアムはドロシーの幼馴染みだったメアリーと結婚します。結婚式前夜、ドロシーはウィリアムの結婚指輪を自分の指にはめて一夜を過ごします。翌朝、彼女は兄に指輪を返そうとしますが、彼は再びそれを彼女に戻すのです。その後、ウィリアムはようやく指輪を引き取り、結婚式に臨みました。このふたりだけの「秘密のセレモニー」の後、動揺したドロシーは、兄の結婚式に参列することができず、部屋の窓から様子を伺ったといいます。式が終わったという知らせが聞こえた時、彼女は立ち上がることができなかったそうです。これらは全てドロシーが『グラスミア・ジャーナル』に記載しています。
ドロシーは生涯独身で、その後も兄夫婦と一緒に平和に暮らし、彼らの子供の面倒をみました。5人の子供に恵まれた一家は、1808年までダヴ・コテージで暮らしましたが、1813年からはライダル・マウントに移り住みました。私が訪れた当時のガイドさんの話では、ウィリアムは独り丘の上に立ち、詩を詠い上げたりしたりする人だったそうです。ロマンチックで心優しい彼は、当時としても特別な男性だったに違いありません。ウィリアムには他にも親しくしていた女性がいて、足が悪くなった彼女を隣家に住まわせ、彼女のために専用の小径を作ってあげたとか(これもガイドさんから聞いた話)。
ウィリアムは妻メアリーを愛し、幸せな家庭を築きました。一方、晩年のドロシーは鬱を煩い、部屋に引きこもるようになってしまったといいます。だからでしょうか。彼女の魂を救うかの如く、イギリスでは遺されたドロシーの日記から、ウィリアムと彼女の深い精神的結びつきを読み解き、掘り起こす書籍が幾つか出版されています。初めてドロシーのことを知った時、ふと彼女とウィリアムの物語を映画化したいと思いましたが、実は1978年、既に英国の奇才ケン・ラッセルが『栄光の影に:ウィリアムとドロシー』というテレビ映画を作っていました(彼と同じことを思いつくなんて光栄です)。そこではドロシーがウィリアムのミューズだったという視点でふたりの関係が描かれています。

湖水地方の丘陵
このような景色のなかを
イギリス人は地図を片手にどこまでも歩きます
写真提供:Cumbria Tourism
どんな家族にも秘密はありますが、湖水地方そしてワーズワースを思う時、私はドロシーのことを考えずにはいられません。

写真提供:Cumbria Tourism
湖水地方は冬も比較的温暖で、どの季節に行っても美しい場所。どんなに傷ついた人の心も癒してくれる風景があります。

写真提供:Cumbria Tourism

写真提供:Cumbria Tourism

写真提供:Cumbria Tourism
Dove Cottage
Grasmere Lake District LA22 9SH
Tel 015394 35544
Rydal Mount
Ambleside, Lake District LA22 9LU
Tel 015394 33002






