2010年3月24日
前回ご紹介したジェーン.オースチンの家から車で15分くらいのところにあるのが世界的に有名な18世紀の博物学者ギルバート.ホワイトの家です。
私をハンプシャー県にあるこの小さな村セルボーンに導いてくださったのはギルバート.ホワイト(1720~1793)が書いた『セルボーンの博物誌』から抜粋して『セルボーンの博物誌の鳥たち』を出版され、また1958年に日本版に翻訳した西谷退三の研究をしていらっしゃる井沢浩一さんでした。
ギルバート.ホワイトはオックスフォードに学んだ後、セルボーンで牧師として暮らしたほとんどの月日を博物学の研究にそそぎ、動物、植物、鳥類や昆虫の観察の成果を知人であるふたりの博物学者に手紙で伝えています。
後世になって進化論を打ち出したダーウィン他多くの科学者に影響を与えたホワイトは、それまでの‘標本から学ぶ博物学’から‘実際に自然の中で生きる動物、植物、鳥類や昆虫の生態を観察する’という新しい方法で研究を行いました。それとともに自然の重要性を理解するという正にエコロジー活動の先駆者でもあったのです。
さて、ハンプシャーのセルボーン(Selborne)はロンドンから90キロほど南西に下ったところにある小さな町です。ホワイトが教区牧師をしていた、また現在埋葬されている(写真)聖メアリー教会(写真)のほとんど真向かいにホワイトが生涯の多くの日々を送った家「ザ.ウェイクス (The Wakes)」はあります。家は1610年に建てられてから増築を繰り返し、現在ではホワイトがいた時代よりはるかに大きくなっています(写真)。博物館の正式名は「Gilbert White‘s House and The Oates Museumといい、1911年にキャプテン.スコットと共に南極探検に参加して遭難したキャプテン.ローレンス.オーツの博物館と共に公開されています。

階下の図書館にはホワイトが二人の博物学者に宛てた手紙を彼自身が手書きで書き写したものがあります(写真)。これこそが「セルボーンの博物誌」の原稿でただひとつのオリジナル版です。

ホワイトがいたころはダイニングルームだったと言われるキッチンは、当時ハエが嫌った色と考えられていたブルーに塗られています。(写真)

ベッドルームは当時の面影を一番残している部屋で、オリエルカレッジでホワイトが実際に使ったテーブルや、ホワイトの4人の叔母によって植物性の色素の糸で刺繍されたベッドカバーやベッドカーテンが見られます。
庭に出るとホワイトがランドスケープガーデンに興味を持っていたことが頷けます(写真)。しかしそれには莫大な費用がかかるためにホワイト自身が考え出したフェイクの石像も(写真)。これもまた私にホワイトの人間らしさを感じさせるところで好感がもてます。庭のほとんど真ん中にある樽でできた眺望椅子は複製ではありますが、ホワイトはこの樽を回転させることによって、太陽の位置で変わっていく庭の景観を楽しんだようです(写真)。


1910年に植えられたチューリップ.ツリー(Tulip Tree)は今年でちょうど100歳。袂には春を告げるクロッカスが咲いていました。

日時計はホワイトの時代のものです。ここに井沢さんの著書を置いて写真をとってみました。日本語にも訳されていること、「セルボーンの博物誌」のおかげで博物学に目覚めた人が大勢いること、彼の研究の成果が200年以上を経た今、大いにエコロジーに貢献していることを知ったならホワイトはきっと満足気の笑みを浮かべることでしょう。

ティールームは数々の賞を取っていて、18世紀のレシピーに基づいて料理されたものやホームメードのケーキ、英国唯一の茶園トレゴスナンのお茶(ホワイトがいたころはお茶は大変高価だったので、現在英国でそれが栽培されていると知ったらきっと驚くに違いありません)が18世紀の内装とともに楽しめます。紅茶好きには是非訪れていただきたい英国伝統的なティールームです(写真)。

ジェーン.オースチンが近くのチョートン村に越してきたのはホワイトが亡くなって16年経ってからでしたが、いつの世にも文学と自然学の世界では代表的なふたりがこの近くに住んでいたことは日本でいう「何かのご縁」だと思うのですがいかがでしょう?












