2010年3月10日
ロンドン塔にいらっしゃる方は観光ガイドやビーフイーターから‘9日間だけ女王であったレディ.ジェーン.グレイ’の話を聞くことでしょう。日本の学校で習う英国歴代の王の中に彼女の名を見ることはまずありませんがたとえ9日間といえども英国ではレディ.ジェーン.グレイの存在は大きく、特にヴィクトリア朝時代の人たちのロマンをかきたてて以来、本や映画、絵などでよく取り上げられています。
レディ.ジェーンは、6回結婚し2番目の妻アン.ブリンとの結婚でローマ法王の許可が得られなかったためにローマン.カスリックから独立して英国国教会を設立したという英国きっての暴君として知られるヘンリー8世の妹メアリー.チューダーの孫にあたります。1536年にサフォーク公爵とメアリー.チューダーの娘レディ.フランシス.ブランドンの長女として生まれましたが母は異常に厳しいひとだったようで、体罰などの虐待もあったようです。そのためジェーンは小さいころから母に愛情を求める代わりに本に没頭したせいか当時の女性では最も高いレベルの教養を身につけた女性に成長していきます。
さて、ヘンリー8世の遺言で後継者は3人の子供が受け継ぐはずでした。まずは唯一の息子エドワード、そして彼に世継ぎがない場合は長女のメアリー、彼女に世継ぎがいない場合は次女のエリザベスが跡を継ぎ、彼女に世継ぎがない場合はヘンリーの妹メアリー.チューダーに継承権がわたるようにという遺言でしたが、歴史はそう単純に事が進むことはまずありません。エドワード6世が臨終の際に残した遺言では彼の後継者はヘンリーの長女メアリーではなく叔母であるメアリー.チューダーを指名したところから予定がくるってしまいます。これは長女のメアリーがカソリックであったこともありますが、息子がレディ.ジェーン.グレイと結婚したノーサンバード公爵の計らいによる影響も多大でした。とにかくエドワード6世亡き後はメアリー.チューダーの孫にあたるレディ.ジェーン.グレイがイングランドの女王として即位します。
ところがまたまたここで問題が起こりました。エドワード6世は15歳で死んだため、法的にヘンリー8世の遺書を変更できる年齢には達していないということでジェーンの女王の座の正当性が問われたのです。結果、ヘンリーの娘のメアリーがジェーンに代わって女王に即位し、気の毒な レディ.ジェーン.グレイは17歳になるかならないかの時にロンドン塔で処刑されてしまいます。
私がナショナル.ギャラリーにはお客様をご案内する際、ドラローシュが描いた『レディ.ジェーン.グレイの処刑 The Excution of Lady Jane Grey』をご紹介することがよくあります(写真)。目隠しをされて真っ白なサテンのドレスに身を包み、処刑の際に首を置くブロックの位置を探す様子のジェーンですが、その若く美しい手や腕の皮膚の下にはこれから送ったであろう人生の明かしである真っ赤な血が流れていることをを感じずにはいられません。

現在、同美術館で『歴史を絵画に ~ ドラローシュと レディ.ジェーン.グレイ』という特別展示が行われていますので英国の歴史に興味のあるかたは是非足を運んでください。(写真はクリスマスの時期ですが)
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ドラローシュといえば19世紀に活躍したフランスの画家で、特に歴史画家として知られているひとです。彼のはっきりと力強く、しかし筆の後を残さないほど滑らかな技法によるドラマチックでありながらロマンチックな仕上げは当時のロマン画家の中でも、デラクロアと並んで彼の名を有名にした所以でしょう。歴史に忠実なひとたちは、時代にそぐわないジェーンや、処刑執行人の服装などに不満があるかもしれません。でも処刑が行われてから300年近くたった1833年に描かれたこの絵で、ドラローシュは歴史的事実より見る人への気持ちの効果を狙ったために、例え事実と違った部分があるにせよそれは全く問題になっていないのです。
今回の展示では『レディ.ジェーン.グレイの処刑』の他、ロンドン塔で殺された(と言われる)エドワード5世と弟のヨーク公爵を描いた『塔の中の王子たち』、『クロムウェルとチャールズ一世』『裁判前のマリー.アントワネット』『エリザベス一世の死』『クロムウェルの兵隊に侮辱されるチャールズ一世』などが展示されています。これらの絵画は下記のウェブから見ることができます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hippolyte_Delaroche












